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1,横須賀米軍キャンプ編T
2,横須賀米軍キャンプ編U
3,東京時代 新宿編T
4,東京時代 新宿編U
5,新宿ダンサー編
6,B&B時代
7,B&B時代・続編
8,新宿ムゲン編
9,新宿ムゲン編U
10,徘徊から吉祥寺へ
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東京時代
新宿編T
俺が始めて都内のディスコに行ったのは、何時だったろう?良くは憶えてないが10代だったことは確かだ。確か?劇場でサタデーナイトフィーバーがまだ放映されてた憶えはある。最初に行ったのは”新宿ブラックシープ”まだガキだった俺の目に歌舞伎町のネオンはみょーに眩しく映った。その頃はディスコに集まるガキはみんな不良と呼ばれていた。当然俺もその類だったが、ブラックシープに集まるガキ達もやはりそうで、日に最低一度は必ず殴り合いのけんかがあるディスコだった。そこで始めてオカマダンスを見た、そう今で言うパラパラみたいなもんかな・・・・オカマダンス→竹の子→パラパラと変化しているがどれも時代が違うだけでさほどかわりは無い。ただ横須賀や横浜でファンク&ソウルに染まってた俺にはかなり新鮮に映った。何で東京の連中はみんな同じ踊りを踊るのかな・・・・?決まった形のスッテプを踏まないといけないのかな・・・・?そんな素朴な疑問を感じた。曲層は時間帯で変わる、1時間ソウルがかかると1時間はディスコサウンド曲層の間がスロータイム15分って感じだ。そう言えば最近クラブでスローかからなくなったな・・・その頃はチークタイムと呼んでた。語源は男と女が抱き合ってチーク(頬)をつけ合って踊るからチークダンスって呼ばれるようになったらしい。ようはその頃のディスコはちゃんとナンパタイムがあったって事だ。今のクラブもたいして変わらないが、昔からディスコにくる客の半分以上がナンパ目的だった。俺?そりゃ当然ナンパ目的カッコ良く踊れればそれだけ、オネーチャンをお持ち帰り出来る可能性が高い!だからひっしこいてダンスの練習をする。動機は不純な方がなんでも上達は早い!パソコンだってそうだろエッチサイトが無きゃ俺はこんな物最初っから触る気がしない!日本の産業は不純な動機から発展して来たんだ。話しがかなり横道にそれて来た。何んの話しだっけ?そう!そんなナンパヤローはとにかく目立てばいいと思ってる。人の目さえひければ女に持てると勘違いしている。だからみんないろんなカッコしてくる、男がチャイナドレスを着てたり、玉虫色のスーツ着てたり様々だ。そんな中でもひときは変なヤツラがいた。そいつらは決まってソウルがかかるとダンスフロアーに出てくるんだ。頭は馬鹿でかいアフロヘアー・ベルボトムのジーンズ・かかとが15センチくらいある靴・ベスト・赤黒緑のマフラー・ちょうちん袖の襟が大きく開いたシャツ。こんなカッコのやつらが7〜8人フロアーに出てくるんだぜ変だろ!そうすると他の客は誰も踊らなくなる。ダンスは俗に言うファンキーダンスだ!ファンキーって言葉の意味しってるか?感覚的な言葉だから文章にするのは難しいが、ヒップホップがブラックカルチャーを示すように黒人臭さといえばいいかな・・・?まあそんなことだ。そのファンキーダンスを踊るヤツラは、どうも俺に興味があるらしかった、俺から言わせればカッコもダンスも違うが、ソウルミュージックを好むと言うとこと、俺の頭が小さいアフロヘアーだったこと、それに俺は日本人に見えにくいらしい、だから最初に声を掛けられた時も英語で話しかけられた。俺日本人だけどが俺の第一声だった、それから意気とうごうして知らない間にその変なヤツラの仲間になってた!
- けっこう馬鹿な仲間が出来たな・・・次回はそんな話しをぶちまけるぜ!
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